貴乃花親子と対戦した力士たち

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横綱貴乃花と大関貴ノ花の両方と対戦した力士は4名います。いずれの力士も若い時に大関貴ノ花と対戦して、引退間際に貴花田と対戦しています。

対戦が可能になった理由としては横綱になる貴乃花の異例のスピード出世で対戦できる地位まですぐに上がった事と誕生が早かった事(22歳の時に生まれています。若乃花は20歳)が要因です。それに加えて番付を落とした時に対戦した力士もいます。鳳凰は幕下まで番付を落として対戦しています。闘竜は十両で対戦。

千代の富士は横綱なので番付を落とす事は出来ません。だから最後の対戦相手になったのでしょう。

元関脇 鳳凰倶往 (二所ノ関部屋)

昭和56年(1981年)初場所 2日目 東前頭5 鳳凰 6勝9敗

昭和56年(1981年)初場所、25歳の幕内2年目の鳳凰は前頭上位から三役を目指して初場所に望みました。大関貴ノ花に寄り切られて黒星。この場所を最後に大関貴ノ花は引退しました。

翌日の黒姫山から勝ち星を上げた貴ノ花は三連敗をした後に引退します。つまり、鳳凰の勝ちは貴ノ花の最後から2番目の勝ち星となるのです。その黒姫山との対戦の直後に鳳凰は横綱2代目若乃花から金星を奪います。もちろん、若乃花は貴ノ花からみれば姪の旦那さんになり横綱貴乃花からみれば義理の従兄弟となります。何かの因縁を感じられずにはいられませんね。

平成元年(1989年)名古屋場所 4日目 東幕下6 貴花田光司 3勝4敗 西下6 鳳凰 3勝4敗

平成元年(1989年)名古屋場所、32歳になった元関脇鳳凰は貴花田と幕下の力士同士で対戦しています。結果は鳳凰の勝ちでした。両力士ともこの場所は3勝4敗で負け越しでした。

その1年後の平成元年(1990年)夏場所を最後に引退しました。もし、鳳凰が32歳当時幕内力士だったならば対戦はなかったのかもしれません。貴花田のスピード出世と鳳凰が幕下に落ちても現役を続けたから奇跡の対戦が実現しました。おそらく鳳凰ももう一度十両、幕内でという気持ちで幕下でも現役を続けていたと思うとそこに特別な気持ちなんてものは一切なかったのだろうと思います。

鳳凰は年寄りにならず廃業しますが、間垣部屋でコーチをしたあと2013年に惜しくも亡くなっています。

元関脇 闘竜賢二 (三保ヶ関部屋)

昭和55年(1980年)九州場所 4日目 東大関 貴ノ花利彰 9勝6敗 東前頭3 闘竜 3勝9敗3休

昭和55年(1980年)九州場所、22歳の新鋭の闘竜は4日目大関貴ノ花に突き落としで黒星。この場所は途中休場して翌場所は番付を大きく下げて大関貴ノ花が現役最後の2場所の翌場所と翌々場所での対戦はありませんでした。

翌日には当時小結だった千代の富士に上手投げで敗れています。

平成元年(1989年)九州場所 10日目 西十両10 貴花田光司 9勝6敗 西十両8 闘竜 6勝9敗

平成元年(1989年)秋場所に幕下全勝優勝して、怒涛の勢いで関取になった貴花田。まだ17歳でした。31歳になった元関脇闘竜は3勝6敗で貴花田と対戦します。寄り切りで貴花田が勝利します。その後、闘竜は三連勝をするものの14日目に痛恨の8敗目を喫します。しかし、翌場所も辛うじて十両に留まります。

翌場所の平成2年(1991年)初場所で4勝11敗という成績で引退しました。10日目に西幕下2枚目の若花田に12日目に東幕下2枚の曙に負けています。闘竜は十両からの陥落で引退したのでもし、貴花田と対戦した平成元年(1989年)秋場所に10敗目を喫していたら若花田と曙との対戦はなかったのかもしれません。そして、場所後に若花田と曙の十両昇進が決まりました。

闘竜は2代目横綱若乃花と3代目横綱若乃花との対戦がある数少ない力士の一人です。

元関脇 巨砲丈士 (大鵬部屋)

昭和54年(1979年)名古屋場所 4日目 東大関 貴ノ花 9勝6敗 西前頭1 巨砲 6勝9敗

昭和54年(1979年)名古屋場所、幕内3場所目の巨砲は4日目に大関貴ノ花と対戦し黒星を喫します。この対戦が初の大関戦でした。(初日には横綱北の湖と対戦して負けています)同じ場所で2代目横綱若乃花にも黒星を喫しています。

昭和54年(1979年)秋場所にも負けているものの翌年の昭和55年(1980年)初場所には貴ノ花に勝利しています。通算成績で巨砲の3勝5敗です。負け越しているものの大関戦にしては善戦しています。

平成2年(1990年)夏場所 15日目 東前頭14 貴花田 4勝11敗 東前頭8 巨砲 9勝6敗

貴花田との対戦はこの一番のみです。34歳で大ベテランになっていました。浴びせ倒しで巨砲が勝利しています。翌場所に十両に落ちた貴花田は2場所十両で過ごした後に幕内に定着します。そして、平成4年九州場所で19歳での最年少優勝を飾ります。この年の5月場所で巨砲は引退しています。若花田とも3回対戦があり1勝2敗です。後に横綱になった貴花田には勝ち越し、大関貴ノ花と3代目横綱若乃花には負け越しています。

元横綱 千代の富士貢 (九重部屋)

昭和55年(1980年)九州場所 3日目 東大関 貴ノ花 8勝7敗 東小結 千代の富士 11勝4敗

通算成績は千代の富士の6勝4敗です。自分より上の地位にいる貴ノ花に勝ち越している点は注目に値いします。のちの大横綱の片鱗が垣間見えます。

最後の対戦は昭和55年九州場所で東関脇の千代の富士が勝利しています。この場所に千代の富士は技能賞を受賞しています。翌場所、昭和56年春場所は貴ノ花が場所中に引退してしまうので対戦がありません。千代の富士が貴ノ花に引導を渡したイメージがありますが、引退してた場所で初優勝をしているものの対戦はありませんでした。

平成3年(1991年)夏場所 初日 西前頭1 貴花田 9勝6敗 西横綱 千代の富士 1勝3敗

2場所連続休場で進退をかけて場所に望む千代の富士の初日の対戦相手が貴花田でした。当時、初日に貴花田だったので人気取りか?等と言われたものの世間の注目は凄いものでした。結果は劣勢になった千代の富士が引いたところを貴花田が攻めて寄り切りで勝利しました。翌日に板井に勝利したものの3日目にも貴闘力に敗れ引退しました。

貴乃花親子と対戦した力士の中で唯一横綱になった千代の富士ですが、当時35歳でした。貴花田が18歳で異例のスピード出世した為に千代の富士の現役最後に間にあったわけです。若花田は千代の富士の対戦がありません。若花田もスピード出世でしたが、それでも間に合わうことが出来ませんでした。

貴乃花親子と最後に対戦した力士が横綱だったなんてなんか凄いですね。

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